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SV.LEAGUE JOURNAL

「まだまだいける、やれる覚悟もある。」藤中謙也が新天地で追う理想
「まだまだいける、やれる覚悟もある。」藤中謙也が新天地で追う理想
インタビュー

「まだまだいける、やれる覚悟もある。」藤中謙也が新天地で追う理想

2026.02.27
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SVリーグで「職人」と称されるジェイテクトSTINGS愛知の藤中謙也。エリート街道を歩んできたように見える彼だが、その足跡は決して華やかではない場所からの挑戦だった。25歳でのプロ転向、そして32歳での移籍。安定を捨て、バレーボール選手としての純粋な評価と成長を求め続ける原動力は何なのか。三兄弟全員がトップ選手として活躍する背景や、愛する競技の未来へ懸ける想い、飽くなき向上心を紐解く。

華やかな1点の裏に潜む、玄人好みの「職人技」

 一度でいいから、この人のプレーを見てほしい。
 もし「初めてバレーボールを見る」という人に「誰を見たらいいか」と問われたら、誰の名を挙げるだろう。国内最高峰のSVリーグには、日本国内に限らず外国籍のトップ選手も集い、コートに立つのは紛れもなくスーパースターばかり。あの選手のサーブも見てほしいし、この選手のスパイクも必見。さまざまな選手の顔やプレーが浮かぶが、それは決して華やかな、試合を決する1点に絡む選手ばかりではない。
 長いラリーが続いた後、そもそもあの強打がどうやってつながったのか。ブロックされたボールがなぜチャンスボールに変わったのか。さまざまな“なぜ”を紐解いた時、必ずと言ってもいいほど絡んでくる選手がいる。
 ジェイテクトSTINGS愛知の藤中謙也は、まさにその代表格とも言える選手だ。
 32歳、188センチのアウトサイドヒッター。専修大4年時の2015年に初選出されて以後、日本代表登録選手に何度も名を連ねた。SVリーグの前身、Vリーグではサントリーサンバーズ(現・サントリーサンバーズ大阪)で主将も務め、主軸の1人として優勝も経験した。
 守備の安定感は抜群で、攻撃に至っても「その体制からなぜブロックされずにそこへ打つ?」と思わずのけぞるような、玄人好みの“職人”。Vリーグ入団1年目からアウトサイドヒッターとして出場を重ね、当時からその存在は際立っていたが、褒められ方は少々異なる。
「新人らしくない、とはよく言われましたね。確かに、フレッシュなタイプではないですし(笑)。でも内心は、いろいろ不安もあったし、嬉しかった時もある。そんなことすら考えられないぐらい必死だった時もあった。いろんな時代がありましたね」

ケンカ三昧の少年時代と、武器を磨いた「山口・宇部商業」

 両親の影響でバレーボールを始めたのは小学1年生の頃。学校から下校すればそのまますぐ遊びに行く。活発な少年時代は、兄弟ゲンカも日常茶飯事。全員がSVリーグの選手として活躍する今でこそ、次男の優斗(東レアローズ静岡)、三男の颯志(サントリーサンバーズ大阪)と三兄弟のファンクラブを運営するなど、仲の良い兄弟という印象ではあるが、幼い頃は些細なことから衝突する。特に3歳違いの優斗とは、毎日のようにケンカをした、と笑う。
「ゲームをすれば勝ち負けでケンカになるし、自分のものを勝手に使っただろ、というところからもケンカになる。何が原因だったか、もう覚えていないぐらいしょっちゅうケンカする(笑)。下の弟(颯志)とは6歳違うのでほとんどなかったですけど、その分次男と三男はよくケンカしていましたね」
 ありあまるエネルギーは、バレーボールにも注がれた。中学に入ると「もっとうまくなりたい」と欲が芽生え、2年時はバレーボールの指導に定評がある学校へ転校した。全国大会にも出場し、準優勝したJOC杯ではオリンピック有望選手賞も受賞し、全国から12名が選ばれる中学選抜に選出され、主将も務めた。
 高校は地元・山口の古豪、宇部商業へ。当時は全国大会に出場してもなかなか勝ち上がることができずにいたが、3年時に山口国体が開催されることも重なり、中学時代の仲間と「地元の学校で全国優勝を目指そう」と進学し、2年時のインターハイでは全国制覇を成し遂げた。まさにエリートと呼ぶにふさわしい学生時代の戦績だが、それだけではない。今につながる武器を磨いたのもこの頃だった。
「当時はガンガン打つエースだったんです。でも、ただひたすら打つだけじゃなく、レシーブや守備もとにかく練習する機会を与えられた。当時は高校生だと”大きくて打つ子”は守備をしなくてもいい、と考えられがちでしたけど、当時から僕は守備力も求められてきた。もともと嫌いじゃなかったですけど、高校時代にひたすら練習したことが、確実に今も活かされています」

「自分が強くしてやろう」あえて選んだ苦難の道

 専修大3年時には東日本インカレで初優勝。2016年にサントリーへ入団と、学生時代に続いてエリート街道を歩んでいるように見えるが、実はそうではない。
「高校も大学も、もともと強いチームを選ぶというよりも、自分が強くしてやろう、という気持ちが少なからずありました。実際、専修も僕が入る時は(関東大学リーグ)二部だったし、サントリーも入団した年は入れ替え戦に行った。すぐにいい思いをできたことはほとんどないし、むしろ、成功する道はない、勝つのはなかなか難しいと思うところからのスタートでした。その過程で、本当にこの選択でよかったのかな、と思うこともありましたけど、でも自分で入ると決めた以上は、覚悟を決めていい方向へ持って行くしかない。何とかしてやろう、という気持ちは常に持ち続けてきましたね」

安定よりも「選手としての評価」を求めたプロ転向

 振り返れば幾度となく転機がある。
 入団3年目の18年、サントリーの主将となった藤中はプロのバレーボール選手になった。当時のサントリーには柳田将洋(現・東京グレートベアーズ)や酒井大祐(現・大阪マーヴェラス監督)、身近にプロ選手として活動する手本がいたこともあったが、「バレーボール選手として純粋に評価されたい」というシンプルな欲望が藤中を突き動かした。
「ずっと試合に出させてもらっていても、社員であれば評価基準はバレーボールよりも勤続年数が重んじられることもある。『企業はそういうものだから』と言われたら、ハイ、というしかなかったんですけど、僕は納得できなくて。まだ若かったので、もっとバレーボール選手として評価してほしい、という気持ちのほうが強くなっていたんです」
 自らの意思は固い。だが周囲の反応がすべて好意的だったわけではない。セカンドキャリアはどうするのか。結婚を考えていた時期だったこともあり、家族からは「大丈夫?」と言われることのほうが多かったが、当時は楽観的に「何とかなるでしょ、と思っていた」と笑う。
 最初は勢いで踏み出したが、翌年の20/21シーズンは14年ぶりの優勝も経験した。なかなか勝てない苦しい時代も経験したが、常勝軍団へと変わるきっかけになっただけでなく、より結果が求められるプロとしても大きな自信を得た。
 だからこそ、自らの経験を踏まえ、これからの世代にも藤中は挑戦を後押しする。 「せっかく大企業に入れたのに、と考えるのも当然ですよね。でも今はプロ選手も増えたし、プロになりたいという若い選手も増えた。最後に決めるのは本人だから、どんな決断になるかは自分が決めることですけど、責任や覚悟を背負ってバレーボールで生きて行こうと思うなら、僕はやっぱり、プロになるほうがシンプルだと思うし、プロになるなら早いほうがいいと思いますね」

32歳の再挑戦。「まだまだ成長できる」という覚悟の移籍 

 安定を捨てるリスクはあるが、自由と挑戦を後押しする環境に身を置き、望むべき道へ進む。これまでもさまざまな選択をしてきたように、SVリーグ元年、サントリーの主将として優勝を飾った翌年の25/26シーズン、藤中はSTINGS愛知への移籍を決めた。

 32歳で新天地へ。25歳でプロ契約した時と同様に、さまざまな見方をする人がいるのは承知の上で、移籍を決めた理由は何か。 「環境やお金、出場機会。選手として何を求めるかは人それぞれある中で、僕は第一に試合へ出られるチャンスがあるところへ行きたかった。もちろんどこへ行ってもその保証はないし、客観的に見れば32歳って上の立場、ベテランと呼ばれる立ち位置で、チームメイトには10歳下もいる。でも自分の中ではそう思っていなくて、まだまだいけると思っていますし、やれる覚悟もある。成長したい気持ちもあるので、迷わず(移籍を)決めました」
 今季からコート内でプレーする外国籍選手の数も増え、チーム内競争も熾烈な中、開幕から出場機会をつかみ、攻守において抜群のバランスを発揮。上位争いを繰り広げるSTINGS愛知の中で、もはや欠かせぬ存在といっても大げさではない。「もうちょっと先輩っぽくしないといけないかな、と思う時もある」と笑うが、コートに入れば年齢も経験も関係ない。
 ベテランと呼ばれる年齢になっても、まだまだ成長すべく努力を重ねる。1人の選手として、その姿で伝えられるものがあれば、と願うだけでなく、父親として、描く夢もある。
「子どもがバレーボールを始めたんです。親としてはバレーをやってくれるだけでも嬉しいですけど、でも他のスポーツに比べればまだまだ将来が約束された環境があるわけじゃない。子どもたちが大きくなる前に、バレー界がもっと大きくなっていたらいいな、と思うし、そこに僕も何かしらの形で貢献できたら、とは考えますね。そもそも自分がなぜ今もバレーボールをしているかといえば、やっぱり好きだからで、好きなことをして周りに影響を与えられる。そんな仕事に就けているのは光栄で、誇らしく思っているので、この先もいい影響を与えられる選手であり続けたいです」

その1点は必ず彼に絡んでいる。バレーの深みを体現する存在

 ボールがつながる先にはいつも藤中がいる。チャンスボールの返球やブロックフォロ―、相手ブロックが並んだ中でのリバウンド。たとえ目立たぬプレーであっても、大事な1点には必ず、藤中が絡んでいるはずだ。
 豪快なスパイク、サーブが決まる1本はバレーボールの醍醐味だ。だがそれ以上に、「今の誰?」と尋ねたくなるような、もしかしたら見過ごされがちな1本こそが、バレーボールの深みと楽しさを味わう真髄かもしれない。だからこそ、何度でも伝えたい。
 藤中選手、見てみませんか?


Text by Yuko Tanaka
Photograph by Kohei Komatsu

※2026年3月30日更新

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