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SV.LEAGUE JOURNAL

「可能性は自分で決めたらダメ」30歳でSVリーグの舞台へ。大元朱菜が切り拓く、終わらない挑戦の軌跡
「可能性は自分で決めたらダメ」30歳でSVリーグの舞台へ。大元朱菜が切り拓く、終わらない挑戦の軌跡
インタビュー

「可能性は自分で決めたらダメ」30歳でSVリーグの舞台へ。大元朱菜が切り拓く、終わらない挑戦の軌跡

2026.03.31
aranmare

バレー界の王道とは遠い場所から、彼女の逆転劇は始まった。最高峰のSVリーグで輝きを放つ大元朱菜の言葉には、幾多の逆境を越えてきた重みがある。無名校出身、戦力外の危機を救った「キャラ変」、モンゴルでの極限生活――。異色の軌跡を辿り、どんな苦労も「今は全部幸せ」と笑い飛ばす彼女が、アランマーレ山形で一試合ずつ刻む感謝の想いと、結婚・出産後も現役を志す飽くなき挑戦の全貌を語る。(取材日/1月30日)

無名校から大学で覚醒。「バレーボール選手になりたい」卒業文集の夢を本気で追い始めたあの日

 1995年生まれの30歳。大元朱菜が誕生したその年、地元・神戸は大地震に見舞われた。あれから30年が過ぎた今年1月、神戸で開催されたエムット presents SV.LEAGUE ALL STAR GAMES 2025-26 KOBEに出場。両親や家族の大応援団が訪れることを嬉しそうに語りながら、大元はしみじみと噛みしめる。
「まさかここまでバレー選手として続けられるなんて、誰も思っていなかった。だから周りの友達からもよく言われるんです。『なんで、まだ選手なん?』って(笑)。ほんと、人生何が起こるかわからないですよね」
 まさにその言葉通り、大元は異色の経歴を経てSVリーグでプレーする選手だ。小学3年生で「人数が足りないから」と地元の小さなクラブでバレーボールを始めた。厳しい環境ではなかったことが幸いし、「めちゃくちゃ楽しいと思うこともなかったけれど、嫌だと思うこともなかった」と振り返るように、なんとなくバレーボールを続けながら、漠然と夢を描き、小学校の卒業文集には「将来はバレーボール選手になりたい」と書いた。
 とはいえバレーボールの強豪校を選ぶのではなく、当時中高一貫の松蔭中学校・高等学校(兵庫県神戸市)へ進学。スポーツ自体にそれほど力を入れているわけではなかったが、バレーボール部はある。入部する選手はほぼ初心者だったので、経験者の大元は当然チームの中心選手になった。 「めっちゃヘタクソなんですけど、周りの子たちよりはちょっとできるので『私が打つ』って(笑)。春高なんて無縁の世界でしたけど、高校2年生の頃に身長が伸びた。『せっかく身長もあるんやから大学でも続けてみたら?』と勧められて、その時も何となく、続けることになったんです」
 高校まではチームの中心で攻撃の大半を担ってきたが、進学した天理大学で初めて壁にぶつかった。上下関係も厳しく、バレーボールの技術も自分を上回る選手たちばかり。だが、その環境が大元に火をつけた。
「リーグ戦で活躍して選抜に選ばれる選手を見ているとすごくうらやましかった。私もバレーボール選手にほんまになりたい、って初めて本気で思いました」
 猛練習の甲斐あって、4年時にレギュラーの座をつかみ取った。そしてもう1つ、大元にとって最初の大きな転機が訪れたのも同じ頃だった。

トライアウトで掴んだプロの道。生き残りを懸けて自分を磨いた日々

 大学4年生になった2017年、前年に設立されたヴィクトリーナ姫路が本格始動に伴い、入団を希望する選手を対象にトライアウトを実施すると聞いた。
 野球やサッカーと異なり、バレーボール、しかも女子バレーでは珍しいトライアウトの響きに胸が躍る。そもそも高校も大学も強豪校というわけではない自分がVリーグ(現:SVリーグ)でプレーするなど夢のまた夢。でもその日のパフォーマンス次第で可能性が拓けるトライアウトならば、自分にもチャンスがあるかもしれない。
 当時のポジションはアウトサイドヒッターだったが、おそらく同じポジションの選手は多いはずだ。それならばあえて、経験はないが倍率の低そうなミドルブロッカーで勝負しようと考えた。そして、奇跡が起きた。
「全然できないんですよ。だけどトライアウトの日はめちゃくちゃ調子がよくて、受け終わったその日に『絶対受かった』と確信していました」
 そして12月、ヴィクトリーナ姫路への入団が発表された。当時はまだクラブもスタートしたばかりでスタートラインは同じはずだったが、周りを見渡せば自分よりも経験も技術も長けた選手が揃っている。実際の練習でも、できることよりもできないことのほうが圧倒的に多く、それだけで完全に気後れしてしまった、と回顧する。
「プロとしてのマインドも伴っていなかったので、自分のことを過小評価しすぎた。できることもできなくなって、自らチャンスを逃していました。消極的だから怒られるし、そもそもできない自分が一番悔しい。自分自身とひたすら向き合ったのはあの時が初めてだったかもしれないです」
 企業チームを母体とするわけではなく、プロクラブであり、プロ選手である以上常に評価がつきまとう。クリアできなければ次はない。次年度に向けたクラブ編成が練られる中、戦力外通知を受ける選手もいる。当然バレーボールでの結果が第一ではあるが、技術や競技成績を上回る価値があると見なされれば、それも評価につながる。大元は必死だった。
「自分が商品なので、自己アピール、自己マネジメントも自分次第。私、めっちゃネガティブやったんですけど、ここで生き延びるためにどうするかを考えて、スーパーポジティブキャラで行こう、と決めた。だから“チームを照らすスーパーポジティブ”じゃないですけど、自分をキャラづけしたおかげで2、3年生き延びることができた。それに、実際キャラだけじゃなく、ポジティブなことを口にし続けていると結構そうなるんですよ。『私はまだその実力に達していないから』と臆していたら、ずっとそのまま。できないとわかっていても、いやいや私はできるよ、という感じでやることが大事やし、それは今も同じように思い続けていますね」

契約破棄の涙を越えてモンゴルへ。現地生活が教えてくれた「ストレス耐性」と強さ

 23年にヴィクトリーナ姫路を退団し、翌年はヴィクトリーナ姫路の下部育成チーム(当時)であったヴィアーレ兵庫に在籍。1年で契約を終えたが、バレーボールを辞める、という選択肢はなかった。それならば、と一念発起し20代のうちに海外でのプレーも経験したい、とさまざまなルートをたどって海外クラブとつながるチャンスを求め、ヨーロッパで開催されるトライアウトも兼ねた単発の合宿にも参加した。
 これまで日本でも積極的に動いて活路を見出してきたが、海外クラブやエージェントとのやり取りは初めて。「完全に自分のテンポが遅かった」と振り返るように、ほぼ決まりかけた契約が突然破棄される状況にも見舞われた。
「スロベニアの二部のクラブがやっと決まったんですけど、パスポートの更新をしなければいけなくて数週間時間がかかる。それだけで『そんなに待てないし候補は他にもいるから』と断られました。私からすれば、やっと決まったのにまた白紙、と思ったらショックで大泣きしました」
 ただ、別の縁がつながった。モンゴルリーグに属するクラブからの誘いに、迷わず即答した。
「行きます、いや行かせて下さい、って。バレーができるチームがあって、経験できるならどこでもいい、と思って飛びつきました」
 とはいえモンゴルでバレー、と言われても最初はイメージが湧かない。冗談みたいですけど、と笑いながら当時の心情を明かす。
「ゲルに住んで、馬に乗って練習へ行って、草原でバレーをするんだと思っていたら、意外とちゃんとした都会の街だったのでびっくりしました(笑)」
 所属するクラブ数は日本とほぼ変わらず、対戦形式はそのシーズンによって変わる。ただ、アリーナはいくつもあり、観客も入る。映像制作のコンテンツも豊富で、試合の映像やインタビューがSNSを通じて発信されている環境があり、プレーする選手もプロとしてある程度のレベルと意識の高さが求められる。何も知らずに海を渡った大元も、実は合流当初に解雇される危機に見舞われた、というのも決して大げさではない。
「もう契約してくれる場所なんてないやろな、と諦めかけていた時期だったのでトレーニングもサボっていたんです。だから、モンゴルリーグでやらせてもらえることが決まって、いざ練習に参加してもあまり動きがよくなかった。チームのスタッフから『思ったよりも動けていないから、この日までに動きが戻らなかったら帰国してもらうよ』と言われて、やばい、と思って死ぬ気で練習したし、実際に途中で契約を解除されて帰っていく選手を何人も見ました」
 必死に練習した甲斐あって、契約は継続。とにかく「できる場所があるなら」と前のめりだったこともあり、契約条件は最低限のまま。シーズンが続く中で外国籍選手が増えれば、狭い部屋に置かれるベッドの数が増えていく。
「生活スペースはベッドの上だけ。お風呂もないし、シャワーはあるけど最後の最後にはシャワーヘッドが壊れたので、水道の蛇口でそのまま直接身体や頭を洗うのも当たり前(笑)。おかげでストレス耐性が上がったので、今、周りの子たちが環境に対して不満を言っているのを聞いても、私からすれば何を言っているのかわからない(笑)。そんなん全部幸せやん、って、心の底から思いますね」

憧れのSVリーグとあたたかな山形の人々。応援される喜びを力に変えて

 1シーズン、モンゴルで経験を経て翌年は韓国でのプレーを希望したが叶わず。次はどうしようか、と考えていた矢先、アランマーレ山形の北原勉ヘッドコーチから誘いを受けた。また日本でプレーができる、しかもSVリーグのクラブに誘ってもらえた。願ってもないチャンスだった。
「どこで私を見つけてくれたんやろう、って思ったし、本当に嬉しかった。SVリーグの会場は本当に華やかで、私たちはそうやっていろんな人が設営してくれた場所でスポットライトを浴びて入場して、バレーができる。そんな幸せなことはないから、このかけがえのない瞬間を1試合1試合、どの試合も噛みしめたい、って思うんです」
 選手間の仲も良く、地域の人たちとも日頃から連携し、クラブも選手もさまざまなイベントに参加する。普段の練習にも近所の人たちが足を運び、「がんばってね」と優しく笑顔で声をかけてくれるあたたかな場所が大好き、と笑い、だから、と少し寂しそうな顔で言った。
「よく行く銭湯があって、そこで仲良くなったおばあちゃんもアランマーレを応援してくれているんです。来シーズンからアランマーレの本拠地が山形から秋田へ移転するのを知って、すごくショックを受けていて。私たちも寂しいですけど、でもその分、山形で戦える今シーズンの試合を大事に、応援していただける喜びを持って戦いたい、って前以上に思っています」

できる限り現役でいたい。人生何が起こるかわからないからこそ面白い
 この先もできる限り長く、バレーボール選手であり続けたい。それが今、大元が抱く夢だ。
「今後、結婚したとしても、子どもが産まれたとしてもずっと続けたい。できる、できないはわからないですけど、可能性は自分で決めたらダメですよね」
 人生は何が起こるかわからないから、面白い。今までと同じように、これからも。自分を信じて、未来を切り拓いていくだけだ。

Text by Yuko Tanaka
Photograph by Itaru Chiba

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