175センチという小柄な体格ながら、驚異的な跳躍力で「リアル日向」と称される喜入祥充。大塚高校での“サーカスバレー”や早稲田大学での日本一、サントリーサンバーズ大阪でのリベロ転向と、多彩なキャリアを歩んできた。ポジションに捉われず、常にチームのために全力を尽くす彼の原動力は、純粋に「バレーを楽しむ心」。31歳を迎える今、観客を「あいつは何者だ?」と驚かせ、ワクワクさせる唯一無二のプレーでコートを縦横無尽に駆け巡る。(取材日/3月9日)
「ないなら創る!」能勢の自然と行動力が育んだ、バレーボール人生のパワフルな原点
175センチのアウトサイドヒッター、喜入祥充はチャンピオンシップファイナルの最中、5月13日に31歳の誕生日を迎える。
高校時代は“サーカスバレー”を体現する小さな大エース。2020年には人気マンガ『ハイキュー!!』の完結に合わせ、Vリーグの選手がマンガの登場人物として戦った記念試合(ハイキュー!!×V.LEAGUE SPECIAL MATCH 2020)でも、主人公の日向翔陽としてプレーし、“リアル日向”として話題を集めた。
「同期もだいぶ減りましたね。会うといつも『お前、いつまでやんの?』って笑い話です。この身長で、SVリーグでスパイク打っている選手なんていないですから。昔を知らない人からすれば、僕がスパイクを打つ姿を見るだけで『あいつ、何や?』って驚きますよね。そういうこと、したいんですよ」
プレー中も、インタビュー中も常に笑顔で、どんな出来事も楽しそうに語る。だが、すべてがただ楽しかっただけの時間ではない。大好きなバレーボールがしんどくて仕方ない時期もあった。
「勝てない時代もあったし、自分自身もリベロとしてどうすればいいのかわからず、必死で、正解を探した時期もあります。毎日、このままで大丈夫なのか?って思ったこともあるし、実際に先輩から『お前、覚悟あんのか?』って言われたこともありました」
それでも、何度悩んでもいつも最後にたどり着く。
「やっぱりバレーって楽しいし、楽しくプレーしている姿を見てほしい。『お前が入ると何かやってくれそうな気がする』と言われるのは嬉しいし、実際僕もそう思っているんです。ピンサ(リリーフサーバー)で入る時も、『(ミハウ)クビアク(2016/17~2022/23シーズンまでパナソニックパンサーズでプレー)おるやん、クビアクから(サービス)エース取ったら最高やん』とか。そんなことしか考えてないですから(笑)」
出身は大阪府能勢町。大阪の最北端にあり、美しい棚田が有名な自然豊かな場所で育った。175センチでも最高到達点338センチに達する跳躍力も、毎日のように山を駆け回ったおかげで育まれた、と笑う。
「小学生の頃に『伝統的な大阪の田舎』として能勢町が教科書に載っていたぐらい、とにかく田舎で猪も鹿も出る。“大阪出身”と言っても、能勢町はちゃう、異国や、って言われます(笑)」
運動能力は抜群で、サッカー、ソフトボール、バドミントン、水泳、バレーボール。さまざまな競技を経験したが、小学5年生になった時に膝を痛めた時は、医師から「運動のしすぎ」と忠告された。その結果、両親から「どれか1つに絞りなさい」と言われ、選んだのが小学3年生から始めたバレーボール。中学でも当然バレーボールを続けようと思っていたが、進んだ学校にはバレーボール部がなく、「どうしてもバレーボールがやりたい!」と訴え、バレー部をつくってもらった。選手を集めることからスタートし、小学生の頃にサッカーをしていた仲間たちに片っ端から声をかけた。
「親がママさんバレーを教えていたので、まずは1回連れて行って、楽しいっしょ、って誘うんです。最初はみんなボールが飛んで来たら手じゃなくて脚で返していたんですけど(笑)、10人ぐらい集まってくれた。しかも僕だけじゃなく、地元の友達はみんな運動神経がめちゃくちゃよくて、それこそサッカーを続けていたらサッカーでもそれなりのレベルに行ったような選手ばっかり。エネルギーが有り余りすぎている子たちも多い学校の中でも、僕らは“最悪の世代”と呼ばれる学年だったので(笑)、そういう連中も巻き添えにしました」
すぐに暗くなるため、下校時間は早い。冬場は15分しかできないこともあったが、運動能力が高い選手が揃うこともあり、練習試合を重ねると、瞬く間に強くなった。

“サーカスバレー”で開花したバレーIQ。最強のライバルと戦い抜いた最高に楽しい高校時代
強豪校がひしめく大阪の中でも頭角を現し、3年時には優勝候補の大本命と目されたチームを破って全国大会へ出場。卒業後はセッターを中心に、前衛、後衛、どこからでも攻撃を仕掛けるだけでなく、素早い動きと速いトスで翻弄する“サーカスバレー”を代名詞とする大阪の強豪、大塚高校へ進学した。
跳躍力を活かした多彩な攻撃に磨きがかかり、春高、インターハイなど全国大会では常に上位進出を果たした。加えて、今にもつながるバレーIQが育まれたのもこの頃だ。
「常にレベルの高いバレーボールに触れることで幅が広がる。そうなると、この身長でも通用する部分と、しない部分の違いは何か。こうすれば点数を取れる、これは取れない、という物差しができるんです。その当時から、もっとこういうことができれば通用する、と考えながらやってきたし、今も同じ。こういうことができるから強いんだな、とか、自分だけじゃなく他の選手のことも分析できるじゃないですけど、すごく敏感にバレーボールを見られるようになりました」
何より、高校時代には身近に凄さを体感させてくれる存在もいた。全国大会でどれだけ勝ち進もうと、最後の最後に自分たちを上回る。喜入が2年時と3年時の2年間に高校主要タイトルをすべて制し、今も破られていない高校六冠を成し遂げた愛知の星城高校だ。
「公式戦だけじゃなく練習試合もしょっちゅうしていたので、(練習試合では)勝つこともあるんですよ。でも春高の決勝になるとギアの入り方が想定外。“せーの”で頑張って跳んでも、(石川)祐希が一歩助走でその上からズドーンと打ってくる。試合中に先輩と『どうします? あれ打たれたらしゃあないっしょ』と言いながら戦っていたぐらいなので、負けても悔しくない。いやー強かったなぁ、って思うだけ(笑)。とにかく楽しかったですね」

リベロ転向という大きな壁。葛藤を乗り越えて見つけた、守備の奥深さとチームを支える喜び
アタッカーとして勝負するのは高校まで。早稲田大学へ入る時は、リベロに専念しようと決めていた。武器である跳躍力は見る人の目と心を惹きつける魅力ではあるが、代償もある。常にフルジャンプで跳び続けた膝は限界を迎えていた。
だが入学早々にアウトサイドヒッターの先輩が負傷し、リベロではなく本来のポジションでのプレーが求められた。治療とトレーニングを続けながら、4年時の全日本インカレで人生初の日本一にたどり着いたが、卒業後にサントリーサンバーズ(現サントリーサンバーズ大阪)へ入団して、3年目のシーズンから本格的にリベロとしてプレーするようになってから、少しだけ悔やんだ。
「もうちょい早くやっといたらよかった、って思うぐらい苦労しました。めっちゃ難しかったですね」
守備専門のポジションなのだから、まずはレシーブ力を磨けばいい。そう考えていた自分がどれだけ甘かったか。練習や試合を重ねる中で嫌というほど思い知らされた。
「トップレベルでプレーするリベロだったらレシーブはもちろん、自分のプレーはできて当たり前。プラスして、周りに指示を出しながらディフェンスをコントロールしなきゃいけない。でも僕はリベロの経験がないから、まずレシーブを意識して、自分のプレーができないとあかん、と思っているようなレベルだったから、できないことばかり。リベロならやって当然、という前提がある中で、できなければマイナスでしかない。その時はほんとにしんどかったですね」
アタッカーならば、スパイクが決まらなくてもレシーブで貢献することができるし、その逆もある。サーブやブロックでいくらでも挽回のチャンスはあるがリベロは違う。ディグを上げても攻撃や得点につながらなければ仕事をした、と胸を張ることはできず、むしろ少しでも返球がずれればその責任も背負う。
「レシーブがずれたところからクイックを使って、決まらなかった。そういう1つのプレーでも、あー俺のせいや、と思ってしまう。誰もそんなことは言わないし、セッターだってそんなことを思っていないかもしれないですけど、なかなか切り替えられないし、そもそも自分の正解がわからない。チームが勝てない時は、チームのことにも意識を向けなきゃいけないとわかっていても、全く余裕がなかった。とにかく、もがいていました」
笑顔だけを見ていたら、悩み、落ち込んだ日々など想像もつかない。だがそんな道のりを歩んできたのは自分だけではない。喜入はそう言う。

「チームのために」どんな役割も前向きに。レジェンドの壁に挑み続ける飽くなき闘志
「SVリーグ、トップのカテゴリーってそういう場所だと思うんです。選手それぞれに見えない部分があるし、やりたいことがあってもできなかったり、いっぱいもがいている。でも、そういう中で何ができるかと考えたら、僕の場合はやっぱり、チームのために何かをしよう、という心がけを忘れないこと。だからスパイクを打てと言われれば打つし、リベロをやれと言われたらリベロもする。セッターがケガをして、いない時にはセッターもしたし、今シーズンもディマ(ドミトリー・ムセルスキー、サントリーサンバーズ大阪)がいない時はオポをやったし、久々にライトから打てたのも楽しかった。どれだけ前向きにできるか、だと思うんですよ」
自分にできること、だけでなく、やりたいこともある。まずその1つが、今季限りでの引退を表明したムセルスキーをブロックで止めること。
「ただ大きいだけじゃなく、めちゃくちゃちゃんと見て打ってくるから、僕がブロックに跳んでも常に上、手が出ない場所からドーン、で終わり(笑)。俺は全力で跳んでいるのに、ディマが『ヘイヘイ、ノーブロック』って笑いながら言ってくるから、くそー、って毎回思います(笑)。試合を見ていても、相手チームの選手がディマに止められるじゃないですか。だからそういうシーンを見るたびに思うんですよ。あーわかるわ、でもそこ打ったらあかんで、止められるわ、って(笑)」
「あいつ、何や?」と驚かせたい。コートを大喜びで駆け回る、ワクワクに満ちた理想の未来図
ムセルスキーだけでなく、30代になった自分もいつまでバレーボール選手でい続けられるかはわからない。もう長くはないかもしれない貴重な時間だからこそ、叶えたいもう1つの夢もある。
「膝が痛くて跳べない、となる前に点を獲って、盛り上げて、チームに貢献したい。それこそサーブで崩して、チャンスボールが返ってきたところでバックアタックを決めるのが一番理想ですよね。勝つのも大事だけど、とにかく楽しく。バレーボールを全力で楽しんでいる男の子がおる、と思いながら見てもらえて、ワクワクしてもらえたら最高です」
点を獲り、大喜びで駆け回る。そして、観客席から声が聞こえる。
あいつ、何や?
そんな夢を現実に変えるべく。今日もまた、大好きなバレーボールを全力で楽しむだけだ。

Text by Yuko Tanaka
Photograph by Kohei Komatsu
