supported by

SV.LEAGUE JOURNAL

「個性は、自分で考えた先にしかない」古賀太一郎。挑戦し続ける不変のキャプテンが、貫き、魅せる“メンター”の真髄
「個性は、自分で考えた先にしかない」古賀太一郎。挑戦し続ける不変のキャプテンが、貫き、魅せる“メンター”の真髄
インタビュー

「個性は、自分で考えた先にしかない」古賀太一郎。挑戦し続ける不変のキャプテンが、貫き、魅せる“メンター”の真髄

2026.08.04
greatbears

 東京グレートベアーズ発足以来、キャプテンとしてクラブを牽引する古賀太一郎。メンターである兄の背を追い、日本での葛藤を力に変え、自らの可能性を信じ、海を渡った海外挑戦、アキレス腱断裂とチーム活動休止という重なる苦境から立ち上がった不屈の精神。SVリーグの中でも先進的な取り組みを続けながら成長を遂げる同クラブの象徴が、自身を形成した“転機”と、ゼロから火付け役として奔走したクラブづくりの舞台裏、そしてこれからのバレー界を担う選手たちへ伝えたい真意を語った。
(取材日/6月24日)

兄の背中を追い、見つけた自分だけの「道しるべ」

 2022年に東京グレートベアーズが発足してから丸4年、古賀太一郎はクラブのスタートと同時に、キャプテンを務め、5シーズン目を迎えようとしている。
 ホームゲームの演出や、10,000人プロジェクト。ホームゲーム来場者シーズン12万人動員など、開幕前から掲げる新たな試みを次々クリアするたび盛り上がる。スポーツとエンターテインメントを融合し、SVリーグの中でも先頭を走るクラブの1つである東京グレートベアーズにとって、古賀は欠かせぬ存在でもあるのだが、そんな彼にとって今へとつながる“転機”はいつだったのか。
「古賀家に生を受けたことが一番の転機ですよね。4人きょうだいで、5歳上の兄がメンターとして、何をしたらいいのか、どの方向へ行けばいいか。ずっと自分の前に道しるべを示してくれていた。兄貴が試行錯誤しながらプロまで行った道を、自分はついて行くだけでよかったので、社会人になるまでは転機はなかった。正しい方向へ導いてくれる人を探すのはとても難しいけど大切なことなので、古賀家に生を受けて、正しいメンターがいた、ということがすべてですね」
 兄の幸一郎も元バレーボール選手で、NECブルーロケッツからウルフドッグス名古屋の前身、豊田合成トレフェルサでプレーした。2015年のリーグ優勝時は主将を務め、ベストリベロも6度受賞した。その背を追い、弟の太一郎も6歳からバレーボールを始め、その後長崎県の佐世保南高校、国際武道大学、豊田合成と進み、2015年にはフィンランドのコッコラ・ティーケリへ移籍した。

26歳の決断。追う背中を離れ、自らの道を切り拓いた海外への挑戦

 振り返ればそのタイミングが、初めて兄と異なる世界へと踏み出した時でもある。当時は今のように海外クラブでプレーする選手が少なかった中、なぜその決断をしたのか。
「メンターの兄と同じチームになって、2年間全く出場機会がなかった時に、現実を思い知らされたというか。自分の力はこんなもんなんだ、と突きつけられた。同時に、プロの世界は試合に出て、成長してなんぼの世界なので、ここに留まっている以上は状況が好転するとは思えなかったので海外へ行く決断をしました」
 26歳でフィンランドへ。日本ではなかなか試合に出られることもできず、自信を失っていた。だが海を渡り、出会った指導者からの言葉や、出場機会を重ねる中で課題だけでなく成功体験も増えていく。1人の選手として自信を取り戻しただけでなく、フィンランドでの活躍が目に留まり、16/17シーズンはフランスリーグのパリ・バレーでプレーし、17年からはイタリアと並び世界屈指のリーグと名高いポーランドリーグのザビエルツェへ移籍。日本代表として18年にイタリアで開催された世界選手権にも出場した。

度重なる苦境を力に変えて。歴史を継ぎ、火付け役として挑む不屈の新チーム

 東京グレートベアーズというクラブはSVリーグの中でも一目置かれる、先進的な取り組みを続けるクラブで、発足当初から主将を務める。だがそれまでの道のりを振り返れば、決して順風満帆ではない。ポーランドでの3シーズンを経て20年にFC東京へ移籍を果たすも、21年12月には試合中に負傷し、左アキレス腱断裂という大けがを負った。翌年の5月末でFC東京が活動休止を検討していると発表されたのは、それからわずか3日後のことだった。
 ただでさえ全治8か月という大けがからの復帰を目指す苦境に立たされた矢先に、チームがなくなるかもしれないという危機に直面する。それまでも休廃部を余儀なくされた男子チームが全体譲渡を果たした前例はほぼなく、先が見えないところからのスタートではあったが、その状況でも古賀は「身体が動かない分、口だけ動かしてきた」と前向きに振り返る。
「そもそもFC東京への移籍をサプライズと受け取った人もいたかもしれないですけど、僕の中では常に、自分を必要としてくれる熱量のある場所でやる、それを軸として決断してきたので中途半端なシーズンは一度もない。当時(のFC東京)はリベロが3人いる中でそれでも来てほしい、火をつける役目じゃないけれど、仕事をしながら過酷な環境でバレーをやっている選手たちやクラブのマインドを変えてほしい、その一歩目を一緒に歩んでほしいと言われて、自分以外の人にそれができるか、と言われたらできないと思ったから、ここでやろうと決めた。だからあの(活動休止が報じられた)時も『譲渡される、されないは自分たちが関われることじゃない。でもFC東京という歴史あ
るクラブの終わりを任されているのはこのメンバーだから、どう終わるかは俺ら次第。だからこそ、今はバレーボールにフォーカスしよう』と。難しいのは確かですけど、なるようになる、とやるべきことをやるだけ。僕はそう思っていました」
 まさにクラブが望む“火付け”の役目を担い、全うしたが、それも言うほど簡単ではない。
「大変でしたよ。火をつけるといってもマッチがあるわけじゃなく、藁を集めて火起こしからしないといけない感じでしたから(笑)。でも、競技者として自分を高めたいか、バレーボールで何かを成し遂げたいのかと考えた時、自分は後者なので、迷いはありませんでした」
 FC東京でのバレーボールを全うすべく、古賀も翌年の2022年5月、チームとして臨んだ最後の大会である黒鷲旗※に合わせてリハビリを重ね、復帰を果たした。そして同年6月に東京グレートベアーズとして新たなスタートを切る中、それまで以上に先の見えない状況だからこそ、古賀は自ら「キャプテンをやらせて下さい」と言った。これまでFC東京というクラブにどれほどの歴史があり、最後を背負った選手たちがどんな思いを持って戦ってきたかを伝え、引き継ぐクラブにつないでいく。そのために、選手たちが1つになるにはキャプテンとして自身がイニシアティブをとる必要があると考えたからだ。
※毎年GW(4月下旬〜5月上旬)に大阪府で開催されていた伝統ある全日本バレーボール選抜大会。

「現場とフロントが一緒になって、東京グレートベアーズというクラブをつくる。垣根を超えて全員がチームの一員だという文化をつくりたい、という思いで始動しました。最初はもちろん大変でしたけど、お互いすり合わせながら歩んで、最初の1年を戦った先に柳田と深津(旭弘)という日本代表選手が未来を感じて飛び込んできてくれた。そこはクラブとしても大きな分岐点でした」
 観客動員数やその年の順位。常に進化を続ける中、25年に初のチャンピオンシップ進出も果たした。
 奇しくもその日、東京体育館で7,000人近い観客が集まる中で行われたサントリーサンバーズ大阪とのホームゲームでは敗戦直後にテーマソングがかかり「チャンピオンシップ進出!」とド派手な演出の中、キャプテンの古賀がマイクを持った。
「最初は複雑でしたよ。でも、応援に来て下さった方々を見ると、本当に喜んでくれている姿が見られたのは嬉しかった。僕らはその応援に応えるために日々努力しているので、達成感ではないけれど、いい刺激にはなりました」

「答えを急ぐな。自分で考えろ」個性あふれる若い世代とリーグの未来のために

 SVリーグになって、観客数やSNSのフォロワー数、目に見える形で注目度は増えた。在籍する外国籍選手も世界最高峰の選手が揃い、SVリーグの未来も明るいほうへと歩んでいるように見える中、東京グレートベアーズもさまざまな挑戦を続ける過程で、現役大学生でもある川野琢磨など、若い世代も増えた。
「自分にSVリーグの未来は語れない」と苦笑するが、若い選手たちにとってはどんな時も動じず、コート内外でチームをコントロールする古賀の姿は何より大きく映る。特に東京グレートベアーズで放つ存在感は圧倒的で、昨季限りで退任したカスパー・ヴオリネンHC(=ヘッドコーチ)も、バルトシュ・クレクやヤン・コザメルニク、柳田将洋など代表チームで主将経験のある選手が多く揃う中でも「太一郎がキャプテンであることだけは絶対に変わらないし、チームにとってそれだけ重要な存在」と絶賛した。
 多くの選手が「古賀さんはすごい」と口にする現状を「素直に嬉しい」と言いながらも、情報に溢れた時代を生きるからこそやるべきものがある、と若い選手に向けた苦言も呈する。
「すぐ答えを求めるんですよ。わからないことがあるとすぐ『どうしたらいいですか?』って。聞くこと自体はすごくいいんですけど、僕が言うのは『聞いてすぐに答えを求めるな。自分で考えろ』と。考えているその時間が一番貴重なんですよ。聞いて、わかったつもりで行動して、また何か起きたら聞く。それだと自分のものにはなってないし、そこに個性は落ちていない。個性は、自分で考えた先にしかないですから」
 現場の選手だけでなくリーグとして発展するために。考えることに加えてもう1つ、大切なものもある。古賀の言葉が熱を帯びた。
「環境を整えたから、“はい、やりなさい”というのはすごく危険だと思うんです。クラブやSVリーグの人たちがただ選手任せにするのではなく、きちんと教育することが大事。バレーボールだけをして、そこに対する対価をいただいて成長しても、人として欠けている部分が多ければ、バレーボールを盛り上げようと頑張っているのに、止めてしまう側も出てきてしまって、それが選手だったとしたら、これほど悲しいことはない。そういう事態が起こらないように教育することも選手を取り囲む環境の1つであり、未来へつながっていくための1つのピースじゃないかと思います」

達成感はまだない。自らの手でタイトルをつかむその日まで走り続ける

 では古賀自身は、どんな未来が訪れたら達成感を得られるのか。
「どこですかね。自分は人と違うキャリアを積んできただけで、タイトルも個人賞も持っているわけじゃない。だから、達成感を得たことはここまでないです。だから、今は正直どうなれば得られるのかわからないですけど、優勝した時や、目に見える賞を自分の手でつかむことができたら、何かしら感じられるのかもしれないですね」
 その姿こそが、これからを担う選手にとってこれ以上ない“メンター”であるはずだ。

Text by Yuko Tanaka
Photograph by Kohei Komatsu

試合情報はこちらをチェック!

他の記事を読む