SVリーグのPFUブルーキャッツ石川かほくでプレーする横田真未。石川の温かい人々に支えられ、2025-26シーズンでチーム初の3位という歴史的躍進に貢献した。かつては人前に出るのが恥ずかしかった少女が、裾花中学校や東海大学で技術と「考えるバレー」の楽しさを知る。代表選出や移籍を経て、「自分の武器を磨く」ことの大切さに気づいた彼女は、今も地に足をつけて、長所を磨き続ける。挑戦を続ける彼女のバレー人生に迫る。(取材日/6月23日)
地元かほくの優しさに触れて。チームの躍進を結果で恩返し
日本海に近い、石川県かほく市。天気がよければ絶景の夕日が見られる名所だが、昨年からこの地で暮らす横田真未は「なかなか快晴の日はない」と笑い、でも、とホームタウンで日々感じている魅力を語る。
「バレーボール教室や、能登への復興支援。地元の柿やブドウなどの生産者の方々と接する時も思うことなんですけど、こっちの人たちは本当に優しいんです。試合の応援に来て下さる方ももちろんですけど、コンビニの店員さんの『あたためますか?』のひと言もめちゃくちゃ優しくて、あったかい。そんなに気を遣ってくれなくて大丈夫ですよ、と言いたくなるぐらい(笑)、本当に皆さんが親切。いつか自分たちが結果を残すことで喜んでくれたらいいな、ってすごく思うんです」
チーム初の3位と大躍進を遂げた2025-26シーズン、ホームゲームの数も年々増え、最初は「本当に埋まるのかな」と不安だったという。だが、移籍加入した横田や、バレーボール選手として最初のキャリアでもあるデンソーエアリービーズ入団時の同期で、アメリカプロリーグの経験を経て日本に復帰した松井珠己も加わった。世界の名だたる大エースや、日本代表で主軸を担う選手が揃うわけではないが、松井のセットからミドルブロッカーの横田やタイ代表のタットダオ・ヌクジャンを軸に、両アウトサイドヒッターの大熊紀妙、上村杏菜、オポジットのバルデス メリーサを絡めた巧みなゲームメイクでレギュラーシーズンだけでなく、チャンピオンシップでも勝ち進む。地元ではパブリックビューイングも開催された。優勝したSAGA久光スプリングスに敗れはしたが、地元のチームが勝ち進んでいく姿に多くの人たちが声援を送る姿も含め、クラブとして新たなステージに立ったことを強く印象づけた1年でもあった。
移籍して最初のシーズンではあったが、会場やコンビニの店員さんに至るまで。石川で新たなスタートを切った横田のバレー人生をたどれば、これまでもさまざまな場所で多くの気づきや学びを得るものだった。

妹と始めたバレー。人前に出られない少女がチームの中心へと成長
バレーボールは、物心ついた頃から身近な存在だった。両親がトヨタ自動車の実業団でプレーしていたため、幼い頃から父の試合を見に行くのが日常だった。小学1年の時、母が現役時代にお世話になっていたコーチに誘われ、ジュニアチームの見学に行った。しかし、コーチの厳しい指導に圧倒され、一瞬で気持ちが引いてしまった。
「『怖いから嫌、やりたくない』と帰ったそうです。無理やりやらせるものではないから、とその時は(バレーボールの)選択肢がなくなったんですけど、妹が1年生になる時に私も連れていったら、一緒なら大丈夫そう、と私自身が『やる』と。子どもの頃は水泳やピアノ、近くのお寺で習字を習ったりしていたんですけど、気づいたら『バレーボール選手になりたい』と思うようになっていました」
現在はアリーザ愛知でプレーする妹・紗椰香が活発な性格だったのに対し、姉の真未はおとなしくて引っ込み思案。徒競走で「よーいドン!」の合図が出されても走れず、学芸会の時も恥ずかしくて人前に出られないような子どもだったが、バレーボールになれば話は別。高学年になる頃にはチームの中心選手となり、将来を見据えて長身の有望選手を大阪・貝塚を拠点に発掘、強化育成を目的として2005年創立の貝塚バレーボールアカデミーへ進んだ。
親元を離れた貝塚での寮生活。大人と同じサイズのボールや高いネットを使い、「細かいことはわかっていなかった」と振り返るほどバレーボール漬けの日々の中で、技術は磨かれた。

古川学園を経て東海大学へ。「勝つために何が必要か」を自分で考える面白さを知る
高校も地元ではなく宮城県の古川学園へ。全国制覇も成し遂げている強豪校でも寮生活を送り、今となっては「いろいろ理不尽な決まり事もあった」と笑うが、 “ただ、バレーボールを頑張ること”にフォーカスした当時はそれが日常。勝つためにすべて必要なことだと思っていたので「おかしいと感じることもなかった」という生活を送りながら、ミドルブロッカーとして求められるスパイク力やブロック力をさらに育んだ。
指示されたことをやるだけで精いっぱいという中高生の頃と異なり、「考える」ことの楽しさを知ったのは東海大学に進学してからだ。高校卒業時に「Vリーグでやりたい、愛知のチームで活躍したいという思いもあった」と明かすが、当時は各チームの選手層も厚く、高卒の自分が入っても即戦力どころか試合に出る機会も多くないのは明らかだ。そんな時に声をかけてくれたのが関東1部リーグの東海大学で、バレーボールだけでなくさまざまな競技のトップ選手や指導者の揃う大学で、それまでとは違う発想や、気づきを得た、と振り返る。
「勝つために何が必要か、監督から言われてやるのではなくて自分で考えるようになりました。もともと私はあまり感情的なのは好きではなくて、全部意味を持ってやりたいタイプ。バレーボールもまさにそうで、たとえばAパス※1つとってもセッターの身長によってはこの返球がAパスの人もいれば、(NECレッドロケッツ川崎の中川)つかさのように小さいセッターだったらAパスにならないケースもある。単に『Aパスを返す』と言ってもいろいろあるよね、と。ただやらされているだけだったら、そういうことは見えないんですけど少し考えるだけでいろんなものが見えてくる。私にとってはそういう1つ1つを知ることが、ものすごく面白かったです」
※Aパス:セッターの定位置へ完璧に返ったレシーブ。セッターが移動せずに多彩なトスを供給できるため、攻撃の起点となる。
東海大学の藤井壮浩監督も、選手の主体性や“考える”ことを重んじた。サーブレシーブの返球位置だけでなく、3学年下の中川とプレーした横田は、試合でも「いろいろ学んだ」と回顧する。
「私はつかさと並んでブロックに跳ぶんですけど、正確に言うと並んではいない。(身長の低い)つかさは、私が跳ぶ位置よりも1メートルぐらい後ろで跳んで、ワンタッチを取ることを意識していたんです。普通ならばブロックは並んで、揃えて手を出すのが基本なので、1メートル後ろで跳ぶなんてありえない。でも藤井さんは『つかさは自分で考えて、ワンタッチを取るためにここで跳んでるから』と尊重してくれた。その人を活かすために、やり方はたくさんあるんだ、と学ばせてもらったのが東海大学での4年間でした」

新人賞、日本代表選出。世界のレベルを実感し、「短所を直すより長所を伸ばす」武器を磨く姿勢へ
卒業後は地元・愛知のデンソーエアリービーズへ。同期には松井や福留慧美、先輩に奥村麻依や井上琴絵といった国内外での経験豊富な選手に加え、当時のチームを率いた川北元HC(=ヘッドコーチ)は日本代表コーチを務めたキャリアを持つ。日々高いレベルのバレーボールに触れ、出場機会を重ねる中で初年度には最優秀新人賞にも選出され、2022年に日本代表にも初選出された。
幼い頃に描いた「バレーボール選手になる」という夢を叶え、着々とキャリアを重ねていく。同時に、日本代表で合宿を繰り返すうちに新たな発想を抱くようになった。
「みんな長所と短所があるけれど、だいたいいつも短所のことを言われがちじゃないですか。私もどちらかといえばワンレッグ(で踏み切る移動攻撃)※はゆっくりのテンポでしか打てないから、速さはない。そこをもっと練習したら幅が広がるよと言われたんですけど、でも世界のレベルで考えたら、私はジョン(島村春世)さんのようにはなれない。それならば自分が得意なフロントのA、Bクイックを磨いて長所を伸ばしたほうがいい、と思うようになった。何か輝く武器がないと、選ばれない世界だ、と改めて実感しました」
※ワンレッグ:片足で踏み切ってジャンプし、横に移動しながら打つスパイクのこと。バレーボールでは「ブロード」や「ブロード攻撃」とも呼ばれる。
日本代表だけでなく、VリーグからSVリーグへ。世界を視野に入れたリーグへと進化と変化を遂げるクラブシーズンでも同様だ。デンソーエアリービーズへ入団した時は「引退するまでずっとここでプレーすると思っていた」と言うが、個が輝くために新たな場所へ移っていく。移籍も積極的に行われるようになり、ネガティブな意味ではなくむしろ成長過程の中で必要なポジティブ要素として受け入れられるようになり、横田自身もデンソーエアリービーズからクインシーズ刈谷(現・アリーザ愛知)、そしてブルーキャッツと二度の移籍を経験した。
「ここが最後」という覚悟。さらなる成長を求めて、地に足をつけて長所を磨く
「私の場合、一番重視したのは出場機会を少しでも増やしたい、ということ。プラスして、もっと自分が変わるため、成長するために環境を変えたいという気持ちもありました。私だけでなく、選手やスタッフがいろいろなチームにいってその人が輝ける場所を探すのが普通になってきたし、トライしやすい環境にもなってきた。でもだからこそ、この1年が勝負、という気持ちもより強くなりましたね」
とはいえ、選手としてだけでなく1人の女性アスリート。家族に支えられながらの選手生活ではあるが“女性”としての将来も考える。だからこそ、「ここが最後」という覚悟を持ってブルーキャッツへの移籍を決めたのも事実だ。それが何年先になるかはわからないし、また違う場所を求めることもあるかもしれないが、今はこの地の優しく温かな人たちに、バレーボールの楽しさを伝えたい、という思いが強い。
「ここ数年は結果ばかりを求めすぎていたんですけど、でももう少しプレーの質を高めて、地に足をつけて相手を見ながら戦いたい。だからといって、落ち着きすぎちゃダメなんですけどね(笑)。まだバレーボールを見たことがないという人も多いかもしれないですけど、気楽に、構えずシンプルに見て、楽しんでほしい。私自身もルールを知らないスポーツを見に行っても心を動かされることはたくさんあるので、まずは気楽に。その中で面白さを見つけてもらえたら嬉しいし、そうなれるように私も頑張ります」
チャレンジに終わりはない。これからも、長所を磨く。それが横田真未の日常だ。

Text by Yuko Tanaka
Photograph by Kohei Komatsu
